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あの日の朝方の出来事を思い出すと、まだまだ恐怖が蘇ります。
当時は私は大阪で一人暮らし。幸いなことに被害から間逃れました。 電話は地震直後すぐに不通。 死者が短時間の間に100桁が1000、2000、3000…と増えていくのをTVで見ながら、大変な事が起こってしまったとただただ呆然としているばかりでした。 亡き父が亡くなる少し前に、当時西宮市で震災に遭った話をポツリ、ポツリとしてくれました。 長期の仕事の為、会社の寮の2階で寝ていた父は、潰れてぺしゃんこになった1階部分の上に乗っかっている状態だった。 まだ薄暗い闇の中を裸足のまま無我夢中で走った。 助けを求める人達をの声を振り切って…。 落ち着いてからすぐに又寮に戻り、まだ会えぬ同僚達を探した。 瓦礫の下から聞こえる人達の声を頼りに、無事だった同僚達と共に救助活動にあたった。 父は前日まで楽しいお酒を飲んでいた同僚や大切な友人も亡くした。 50歳半ばにして、人生観が変わったようでした。 大切な人を震災で亡くし、家も職も無くし、何もかも地震によって一瞬にして奪われた人達が 当時、急速に復興が進む神戸の街に心が付いて行けず、行き場を無くし戸惑っていた姿がとてもせつなく辛かったな。。 ずっと話せずにいた父も、話せないほど辛かったのでしょう。 息子にもおじいちゃんの経験を必ず伝えます。 あれから12年…私達は学んだのかな。。。 沢山の星になった方々のご冥福を心よりお祈りいたします。
by akonaru
| 2007-01-17 11:18
| * Diary
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